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1行紹介

これまで、好きな事、興味のあることを結構思うままに追いかけてきましたが、なんとかこれまで無事に世渡りできてきました。その上に世界的な大ヒット商品の流通立ち上げに関与させていただくというビジネスマンの一生に一度もない機会もいただき、誠に有難いことだと日々感謝しています。 ←この写真は、今使っている双眼望遠鏡です。トミーテックのBORG125ED F6.4を2本並べて、EMSという装置(鳥取市の「めがねの松本」製)で双眼鏡化してあります。両目で見るのは自然なので長時間観ていることができます。また光量は約1.4倍大きな直径の望遠鏡と同等になります。

自己紹介文

1960年兵庫県生れ。大阪府北部在住
神戸大学農学部大学院修了

真面目な高校山岳部時代に今後人類に最も貢献するのは、農学だ!と思い農学部へ進学。
 大学でも山岳部(伝統あるよいクラブです)に入ろうかと思ったのだが、山以外にも色々やりたい気がしていて、探検部に入部。探検部は山岳部から山以外(熱気球だったらしい。)もいろいろやりたい学生が分派して出来たという経緯がありました。山岳部は体育会なのに対し、探検部は文化部です。(これは探検部の性格を示すものでしょう)
 自由なクラブで各自勝手にいろいろやっているって感じでありました。南米に行って1年以上帰ってこない先輩とか、多種多様な雰囲気。団体行動するのは、ケービングとラフティングの様な人手が必要な案件くらいでした。大学2年から外洋ヨットレースのチーム(トーゴ)のクルーになり、探検部には顔を出さなくなりました。
 折角入った大学を4年で出るのはもったいないので大学院まで進むことにしました。(その割には、外洋ヨットでのレースに忙しく、学校には週に3日くらいしか行ってなかったのでぎりぎりの卒業。大学院では心改めて?勤しんだので、成績優秀で修了 ^_^;)
 しかし、大学院入学には再度入試が(内部進学だと推薦で決まり、試験がない学校もあるようですけど、私らの時は、結構落ちました)あるのを失念していて、またがっつり受験勉強させられました。この考えの甘いところはいつも反省材料です。

 専門は、収穫後の青果物の生理、植物成長調整物質、青果物の貯蔵
 実験用のトマト(2000本ほど校内の畑で栽培していた)や桃(これは実験農場)を自ら栽培したり、トラクター、耕運機を運転したり。もちろん、ガスクロマトグラフィー、高速液体クロマトグラフィーや質量分析器(島津の田中さんで有名になった分析装置)とかのハイテク分析機器も操作してました。この手の装置はかなり奥深いです。経験とノウハウが必要で、遊んでいたわけでもないけど実験方法の確立に年単位の時間を要してしまいました。地方国立大は予算が少ないから、実験装置も大分手造りしました。おかげで実験計画法、機器分析学は優。ただ、その後の大地震で手作り実験装置は全部ゴミになってしまったようです。

 しかしながら、1986年4月社会人の一歩目は、専門と全く関係のない大手情報出版会社リクルートの創刊間もない海外旅行情報誌エイビーロードの営業担当。
 現在エイビーロードは本誌が休刊してWEB情報サイトだけの運営になっています。私は、当時7年後の関西空港オープンを睨んで本誌内で始まった関西発ページの最初の大阪担当でもありました。暑い中大阪の旅行会社をローラー営業したのは懐かしい思い出です。(相当きつかったですけど)
 半年後、企画・マーケティング担当に異動。各種調査、霞ヶ関役所回り(これが結構面白い)などを担当。後に創刊される国内旅行情報誌(じゃらん)の基礎調査も行いました。
 その後、コンピュータのパッケージソフトウェアの情報誌「パッケージソフト」の創刊準備室に企画編集制作として異動、創刊。リーダーに昇格、編集制作デスクっていう役割。
 3年弱後、現業系就職情報誌「ガテン」の創刊準備室に異動、創刊。新規事業、創刊系が続いたのでこの時点で体力気力の限界に近づいていました。限界は越えませんでしたが(ホント体頑丈ですヮ)、ギリギリ一杯まで行った感じでした。同僚は数名倒れましたね。そろそろ別の道を模索しようと思いましたが、当時社内には道が無い感じでした(ダイエーに買収された頃でありました)。また、少々手のかかる家庭の事情も出てきました。しかし創刊メンバーとしての責任があります。創刊後1年位を目途として事業を一つ落ち着かせる目標を立て、そこまではがんばろうと決め制作進行リーダーとして頑張り、そして退職しました。一つの達成感は得ることができた気はしています。
 1993年の夏から2年間の完全プー太郎生活。
家庭の事情もあり、全く働かずでした。時間を作っては冬以外はカヤックであっちの川、こっちの川と川下ツーリング。当然ソロでした。冬は信州のスキー場にこもる(居候とかではなくお客として滞在)など。かなり野外活動に勤しんだおかげで体調は回復しました。
 もう少し野外活動生活を続けようと思ってましたが、何故か嫁が来てしまったので、遊び人を続けるわけにもいかない等とまともなことを考え、関西で勤めることにして、そんなに深く考えずに玩具卸会社に入社。ここでも新規事業開発を担当しました(やっぱり経歴から事業企画・新規系を期待されるのはいたし方ないですね)。
 運良く、後に世界的大ヒットに育つキャラクターのカードゲームの国内総代理事業を会社にもたらすことができました。これは同時に日本国内にトレーディングカードゲームのマーケットと流通を立ち上げることでもありました(当時はそんな大層な意識はなかったです。馬鹿だからですが)。
 もちろん、最初にこの話をうかがった際は、何の事だか内容が良く分からなかったです。当時は、まだトレーディングカードゲームという商材は日本の市場にきちんと存在していなかったからです。運が良かったとしか言いようがないと思います。
(日頃から「予断と固定観念は敵だ」「理解できないものを即否定してはいけない」とは思って行動する様にしてますけど)
 日本におけるトレーディングカードゲームマーケットの成立と共に進む形で事業は進展しました。3年ほどで会社の業績は3倍に伸びました。どうという特徴の無かった消え行く運命さえ感じられた小さな会社(実際これがなかったら無くなっていたでしょう)がその分野でトップシェア(マーケットの40から50%のシェア)の企業になりました。市場の成立と共に少し先行して事業を進めたからですね。全くの幸運です。
 社員で5年、そこで更に役員を5年。いつのまにか通算10年の勤務。
 2004年秋に退任して今はフリーソロ。業務請負人として、世渡りをしています。

できる仕事は
 事業企画、人事社会保険労務はもとより、大ブーム商品を扱った際に出来た人的ネットワークや経験を活かした活動。カード・ホビー分野を中心に普通の会社が普通に活動していては入手できない流通や販売での状況、販促情報等を収集して提供するインテリジェントサービス。その他各種ネゴシエーションや仲介を行います。

 情報は偏在するのが価値の一つなので、競合する会社と重複して契約しないことにしています(当然ですね)。
流通、販促、販売の濃い情報が主に入るのですが、それが直接的に役に立つ、玩具系卸と玩具系小売は何故か現在空いてます。直接的に役に立つだけに危険な情報が時々あるからです。お付き合い先求めてます。よろしくm(__)m 

 仕事内容は聞かれても一言で説明しにくいので、CIAみたいな仕事って答えてます。もっとも違法行為、謀略はしませんけどね。余計分かり難いか。(^_^;)

 最近、小売販売の現場の勉強をしたい(これまで小売経験が全くありません)と思うようになりました。
 小売業は全く未経験の中年ですが、お願いしたところ使っていただけることになりました。なかなか面白く、やりがいも感じてます。

興味のあること

天体観望,カヤック,スキー,アウトドア,薪ストーヴ,ヨット