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2004/08/24

共働きと育ての親

私の両親は、私が9歳になるまで共働きであった。二人とも私の故郷の
市の小学校の教師であった。教師は、女性が結婚、出産を経ても、継続
しやすい職業である。産休中は、臨時の講師(産休の裏付け と称す)が
仕事を受け継いでくれるからだ。この様な制度が昔から存在するのは
公立校の教師より他にないと思う。

母は、女学校を出るころ、日本は戦争で教師が不足していたのもあり、
師範学校の臨時教員養成コースへ進学し、戦中の17才から教師をして
いた。

父は、母より3歳年下だ。農家の次男坊であり、師範学校を出て、
しばらく教師をした後大学に編入学して卒業、その後再び教職についた。
16年前に小学校校長で退職した。

二人とも私の母校の教育学部の前身で学んだ同窓の先輩である。
特に母は、私の卒業した高校の前身である女学校の卒業生であるので
時々先輩風を吹かされた。

私には5歳年上の姉がいるが、乳児を預かる施設などない当時、
姉も私も乳児期から小学校の高学年になるまで、ご近所の個人のお宅で
預かっていただきお世話になった。
無償でのことだ。
最近はもちろんだが当時でもそうあることではないと思う。

姉は、戦国大名の末裔のお宅にお世話になっていた、私は地元神社の 神主さん(両親の仲人である)のお宅にお世話になった。 高熱が出ていても、疹でも水疱瘡でもどんな時でも毎日預かっていただい たのだ。 どちらも何代も続く旧家で広いお家だ。だが、今思い出すと、それほどに 経済的余裕があったとは思えない。神主さんの奥さんは、毎日一生懸命 和裁をしておられた記憶がある。 姉にとっても、私にとっても、それぞれのご当主夫妻は親も同然、ご当主 の子供達は、実の兄姉同然である。実子同然にお世話になった。 私がお世話になった神主さん夫妻は、神主さんが12年前、奥さんが 5年前に死去された。奥さんのお葬式は奇しくも私の誕生日だった。 5月末に産まれた生後2ヶ月少々の長男を抱いて参列した。 長男は、式の間中私の膝の上で眠っていた。 あのようにお世話いただけなければ、私はどのように育ったのだろうか、どんな 人間になったのだろうか、想像もつかない。 両親は共働きを続けられたろうか。父は、早くに自家用車を持ち、敷地100坪 延床50坪を越える家を住宅ローンのない時代に30代後半で建てることができた であろうか。精神面、経済面で受けた御恩は大きい。 誠に幸運であった。これは幸運というものであり、社会体制というものではない。 不運とまでいかずとも普通はこのようなサポートを頂けることはまずありえない。 今の世の中では、更にこのような形でのサポートを受ける可能性は低いだろう。 今の公的サポートによって、同様の恩恵を受けることはない。将来の仕組では どうだろうか? 仕組ルールだけでなく、そこに心が組み込まれていなくては ならないだろう。 そんな高いレベルの事はだんだんと追及し続けるとして、体制だけはさっさと 整備してほしいものだ。幸運に頼るのは、社会の責任ある仕組などではない。

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