アイドルとの邂逅 青と赤
1970年代後半に高校山岳部員であった私のアイドルは、同じ兵庫出身の植村直巳氏でした。彼は私が高校1年の1976年5月8日にアラスカ・コッビューにゴールし、北極圏12000キロの単独イヌ橇行を達成しました。
同年7月にソ連領(当時)コーカサスの広域ヨーロッパ大陸最高峰エルブルーズ(5633m)に登頂。
エルブルーズを欧州最高峰とする場合、5大陸最高峰全登頂を達成しました。リアルタイムのアイドルでした。
同年7月にソ連領(当時)コーカサスの広域ヨーロッパ大陸最高峰エルブルーズ(5633m)に登頂。
エルブルーズを欧州最高峰とする場合、5大陸最高峰全登頂を達成しました。リアルタイムのアイドルでした。
彼の記念館が、故郷である兵庫県の日高町にあります。10年少し前に行ったことがあります。彼の装備が展示されています。植村さんはお金が無かったのか、市販の装備を極地でも使われています。私の持っているのと色違いのガストン・レビュファのセーターが北極の時の装備の中に展示されていました。
他には、
少々遡ったところで、リカルド=カシン、ヘルマン=ブール、
ワルテル=ボナッティ、ガストン=レビュファ、
リアルタイムのもう一人は、ラインホルト=メスナーでした。
東部アルプス6級のクライマーの系譜です。
ヘルマン=ブール以外は存命だと思います。カシンは90歳くらいの
はずです。
私のミレーのザックはボナッティやメスナーがテクニカルアドバイザ
ーです。レビュファモデルのセーターも持っていました。
25年少々経っても、どっちもまだ健在で今も使用できます。
ザックは最新モデルと比べると担ぎやすさは大幅に落ちるので、非常
時の避難用として装備を入れて常備しています。
実はレビュファのセーターは縮んで、私には小さいので女房が着てい
ます。すごく暖かいものです。
実家は高さ2mのブロック塀で囲まれています。
北側のブロック塀にアブミ、ブランコ、ハンモックをかけて、
大岩壁の登攀中のビバークの練習などというのをやりました。
地面との高度差1mほどですが、気分は高度差数百mでの宙ぶら
りん。これで、一晩過すわけですが、他人から見ると馬鹿みたい
です。まあ、北側の塀は外からは見えないので、平気でした。
親にも余計なことは言われたくないので、家族が寝静まってから
始めることにしていました。
北側の塀を使ったのは、ザ・ノース・フェイスのつもりだからです。
まあこんなことはしていましたが、そのようなビバークをしなくて
はならない様なクライミングをするほどに私は登山にのめりこんで
はいきませんでした。
(北壁に、定冠詞ザが付けばそれは、アイガー北壁を示します。)
1997年の初春だったと思いますが、兵庫県日高町の植村直巳冒険館へ
妻と二人で行くことがありました。
彼が実際に使った装備の展示があります。植村さんは、良く知られて
いるようにお金が無かったこともあり、一般品を極地でも使っていて、
思わずニヤリとさせるところがあります。
展示してある彼のセーターは、私と色違いのレビュファモデルでした。
なんとなく嬉しかったです。
彼は青 私は赤
彼は北極 私は日本
そういうことです。
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コメント
こんばんは〜
植村直巳氏はね〜、なんと、実家の母と高校がいっしょだったんですよ〜
同じ村とはいいませんが、ごく近くに家があったんだそうです。
卒業アルバムを見せてもらったこと、あります。
びっくりした! ・・というのは、若いころの母の顔がわたしとあんまり似ていたからで・・(笑
投稿: 美頬 | 2004/12/02 20:23
えー!!
お母様が、植村さんと同期ですか。
お母様って早婚ですか?
美頬さんも早めですか?
私は、母晩婚の上に遅い子です。
日本海方面出かけて、豊岡から播但道(高速でない)を帰ると、植村さんが卒業された小学校の横を通るんですよね。
植村さんは、南極のビンソンマッシフを登って、全大陸の最高峰登頂を達成し終わったら、子供のための野外スクールを始めようと思っていたそうです。やって欲しかったですね。絶対子供を入れたいですもん。
投稿: 管理人 millet | 2004/12/03 03:26
>お母様って早婚ですか?
>美頬さんも早めですか?
んん? 母もわたしも20代前半で結婚してますから・・そうですね、はやいかもしれませんね。
小学校もいっしょだったっけ・・そんなはなしもきいたことあるような。
また聞いときます(笑
投稿: 美頬 | 2004/12/03 23:58