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2008/10/07

私の スキー事始

 さて、今日は古い記憶に深く潜行してみようと思います。(^_^;)

 初めてのスキー。これは、小学校2年生の冬でありましたね。40年も前の話になってしまうところが恐ろしいです。
 叔父が狩猟をする人で、その鳥撃ちに同い年の従姉妹と一緒にくっついて行ったのでありました。兵庫県北部の積雪のある里山エリアで狩猟が行われるわけですが、もちろん、小学校2年生では、ハンターと一緒に行動するわけにはいきません。なので、我々は、地元の漁師さんの家でスキーを借りて、果樹園の斜面で一日雪遊びをしていることになりました。

 用具ですが、板は木製で長い、靴はゴム長、ビンディングはカンダハー。当時既に古い感じの用具でした。1960年代末の当時、プラブーツが出てきていたので、既に過去の用具だったと思います。
まあ、最近の方には何のこと?でありましょうね。

ヤマレコ でのカンダハーの記事

上のサイトで画像で見るのが一番良く分かりますね。
テレマーク用ビンディングの原型だってことが分かると思います。
カンダハーというコースのあるスキー場も時々あるので、聞いたことある名前かもしれないです。(野沢にはありますよね)

いうまでもなく、登山靴ましてやゴム長で滑るのはとっても難しいです。前後左右のサポートが今のプラスチックのスキー靴とは比べものにならないくらい無い。常に正しい位置に乗れてないと転倒。

 これで、一日果樹園の斜面を階段登行やカニ足で登っては、滑りを繰り返す。ひたすら直滑降、だんだん上手になる。そのうちなんとなく曲がるようになる。飽きませんでしたねぇ。

というわけで、私のスキー初体験は、テレマーク系で滑った場所もゲレンデ外ってことでバックカントリー。将来を暗示している様なスタートでありますね。

その次は、我が家は共働きだったので、日中お世話になっていた神主さんのお家のおにーさんに連れて行ってもらった奥神鍋スキー場。この時は、木製の板、皮のスキー靴(皮の二重靴、編み上げ)、ビンディングはマーカーだったと記憶しています。

その後、小学4年生の時に、地元の市の体育活動でスキー旅行の募集があり、それに参加します。そのときは、前日前夜と結構な雨、翌日は雪に変わっていましたが、積雪量は少なく滑るのにギリギリ、そのうち小雨に変わりだし、早めの撤収となって十分に滑ることができなかった。
 この時も、木製の板、皮のスキー靴(皮の二重靴、編み上げ)、ビンディングはマーカーだったと記憶しています。

この段階まで、レッスンを受けた事もなく、スキーを履いて歩いて登って、滑り降りるという域を出ていません。まあ直滑降は上手くなったかもしれません。

 この後、空白期間が続きます。

 再びスキーを履くのは、高校の山岳部においてです。毎年冬休みに入るとすぐにスキー合宿がありました。県内の高校山岳部の合同行事でありました。兵庫県北部の代表的スキー場鉢伏高原の山麓に丹戸という集落があり、そこに我々の定宿の民宿がありました。日程も毎年固定なので、OB達もやって来ます。スキーも行いますが、氷ノ山にも登ります。氷ノ山登山のルートは東尾根でありました。これが毎冬の定番行事。スキーの用具は、民宿で借りてました。この頃は、グラスファイバーの板、プラブーツ、ステップインのビンディングになってました。まあ、1970年代後半ですので。

浪人期間1年は、当然ですけどお休み。

大学に合格した春は、先に大学に入っていた山岳部の同期とスキーに出かけることにしました。合否が出る前に日程は決めて予約なんかはしてました(^_^;)。この時に用具を揃えることにしました。
 スキー歴上最初の用具は、山スキーのセットでした。ステップソールの板、ビネルサの山スキー用ビンディング(当時最新で山スキー用としては初のセーフティ機能装備。登山靴もアルペンのブーツも取り付けられる)、登山靴は持っていたので、アルペン用のブーツを購入。春の栂池スキー場をステップソール板特有の唸り音をさせながら、自己流ボーゲンで滑りまくりました。ひたすら楽しかったです。

これらが、ちょっと変わっているかもしれないですけども、私のスキーの下地を固めたものだと言えます。

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