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2010/04/02

なぜ山に登るの?

何故山に登るの? 登山の楽しさって?

という様な質問は、山やの方なら受けたことがあると思います。まー実の所、私は深く考えたことはありませんでした。

 中学の頃
・「なんか面白そうだから」というので始めました。
でもって
・「普通では、そこに居ることがない場所、そこに来るのに苦労や危険が伴う場所に居ることが面白く」
山岳部に入り、あちこちと出かけるようになりました。

2番目の気持ちが、継続とエスカレートしていく動機ですね。

 もっと原始的な心理として、苦労や危険が伴う場所に行くってことが面白いってことが、どういうことなのかということは、最近まで考えたことがなかった。(なにしろ根が馬鹿なので、何も考えてない ^_^;)
10代後半から20代前半には、いろいろ山の本を読みました。アルピニズムについて述べている本も沢山読みましたけど、まー私ごときには関係ないレベルという気がしてました。

 長らく山を中断していて、一昨年あたりから再開して、それがきっかけでもうちょっと深く考えたりしはじめました。50歳目前にして再開するには、身体能力の低下という、苦痛を伴う大きな壁にぶつかるわけだし、他にも面白いことや気持ちよいことは知ってます。で、そこのところの源ってのはなんざんす?ってことです。

 山登りを再開した頃から、昔読んだ本を再読することも多くなりました。歳食うと読み取ることが変わります。イヤイヤそれには驚きです。

 伝説的クライマー ボナッティの本ってのは、登山の詳しい記録というより彼の随筆的要素が強く、彼のアルピニズム論も展開されます。これ昔良くは分からなかった。

スーパークライマー達が命を賭けて登攀していくのも功名心、名誉ってこと以外は良くは分からなかった。

 人類初の8000m級登山として、フランス隊のアンナプルナがあるわけですが、この登山を綴ったモーリス・エルゾーグの「処女峰 アンナプルナ」は名著だと言われます。まー確かにそうなんですが、若い頃に読んだ時は「あーそー」って感じでした。締めに出てくる言葉「人それぞれにアンナプルナがある」ってのも意味がよーく分からなかった。

これらが、オヤジになって、繋がってきて自分なりの理解ができてきました。理解というよりも持論でしょうけど。(しかし、若い頃はほんと物事を良く考えてない奴だったということも分かりました)

私の意見としてですが

・登山含めフィールドスポーツには、大なり小なり命のリスクがある。自分の命とのトレードオフの要素がある。そこから強い快感が生まれる。これは原始的野性的快感であろう。これがなぜ山に登るかの理由だ。
・低山であってもそのリスクは存在する。人それぞれにその技術、身体能力に対応してリスクが発生する。初めて山に登る人にとっては1000m級の近郊の山の一般ルートのリスクは、鉄人クライマーの8000m級の登山と同じレベルのリスクなのだ。これがエルゾーグの言う「人それぞれにアンナプルナがある」ということなのだ。

20代前半なら、いきなり行っても夏の剣岳登山はそれほど難関ってことはない。しかし、今ならそれなりの準備(トレーニング、装備の厳選)と集中力が必要になる。近所の低山なら今もそれほどのリスクはないが、その山行は、難関へのチャレンジに繋がってくものだと頭の奥で理解しているから、やはり楽しいのだ。

もっとも低山里山徘徊などには、物見遊山としての楽しさがあり、アルピニズム的解釈とはことなるものである。

という様に最近捉えているわけなのだ。

いやー、流石エルゾーグ 「人それぞれにアンナプルナがある」は、一言で言い表す言葉だったのだなぁ。

快感の為には、装備購入や交通費に無い袖を振ってお金を使うし、無理して休みだって取るわけなのだ。

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