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2010/06/16

情報収集

私の仕事は、まあ言えばインテリジェントサービス。
言葉は格好いいけども、実際は泥臭い仕事。いろんな人とコミュニケーションを取ったり、藁しべ長者的に情報交換をして、有益な情報に近づいたり、周辺情報から本丸の推測を正確に行う、っていうことになる。
ちょっと前から、マジックザギャザリング(MTG)の供給サイクルについての情報収集をしてた。最近の実態について凡そは把握できた。面白いというか、これまでも良くあるのだが、私が情報収集に動く、つまりいろんなところにコンタクトを取ることになるのだが、そうすると、「そこに何かあるの?」と周囲の注意が向くことになる。ずっと裏方だったので私の業界知名度は高くないが、トレーディングカードゲーム(TCG)のマーケット創成に関わっていたことは知る人は知っているからだ。
私が調べに入った部分の情報活性度が上がったりすることが多い。すると私が課題あると思っていたことが、関係者の情報交換不足が原因であれば、解決の方向に進むことがある。結構な事なのだが、情報を把握し、課題を見つけて、それを売るのが仕事である私の商売には、いまいま得にはならない場合もある。情報は自分だけが握っているのが競争においては有利だからね。まあ、ただ、マーケットにとっては良いことだろうから、そこの端っこで食っている私にも良いことになるのでしょう。

肝心のMTGの供給サイクルについては、具体的にこういうところで書くわけにはいかない。1年ほど前に把握していた状況と同じだったと言っても差し支えはないだろう。ただ、昨年の下半期から販売は好調になってきており、それ以前と変わらないというのは、問題が起こることになる。実際、何度も小売店頭で品切れを起こして、再入荷まで相当待たせることが起こっていた。だから、私が情報把握に入ったわけだ。
もちろん輸入元だけに責任があるわけではなく、状況を把握してきちんとフィードバックしていく動きが中間流通業者に不足していた、とも言って良いだろう。私はかつてその現場に居たのだが、今は直接その仕事をしていない、したがって、私が気づくのは、現場より遅れる。本当は、私が気づく前に現場が行動するのが良いわけだけど、そうなると私の仕事も少なくなる。それも困るから辛いところ(^_^;)。だけど、各現場の人たちもどんどん経験は積むから、私の仕事が減っていくのが正しいのかもしれない。これは困ったね(ーー;)

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2010/06/13

Lightning Bolt ライトニング ボルト (ボルト マーク)

ボルトマークと言うと、ハワイの有名なサーフショップのトレードマークを思い浮かべるのが普通だと思う。ジェリーロペスが使っていたボードがここのものでありました。
サーファーの方にとっては、70年代のジェリー・ロペスといえばライトニングボルトしか考えられないと思います。

私の場合は、私が所属していた外洋レーシングヨットの「トーゴ」のハル(船体)のペイントを思い浮かべざるを得ない。私と同年代のレーシングクルー諸氏も同様だと思う。
紺色のベースに白い稲妻というのがトーゴのハルカラーである。
トーゴがハワイのレースに遠征した際は、地元サーファーには親近感を持って貰えたようだ。島周りレースでは、ダイアモンドヘッド周辺では、岸ギリギリに寄せて走るのが有利なコース取りになるのだが、思い切りつっこむので、サーファーが波待ちしているところまで入っていく。その際、彼らからはヤンヤの喝采でありました。

今や、「トーゴ」と言ってもヨットレースをしている人でも最近の方は知らぬというのが普通だろう。「トーゴ」が最も盛んにレース活動をしていた時期は、1970年代後半から1980年代末にかけてでありました。

トーゴは、関西青少年サナトリウムの創立者で理事長の山田東吾氏(神戸大学OB)がオーナーのプライベートチーム。山田先生は、2005年8月22日に急死されています。私は、神戸大の後輩であり、家も近いということで可愛がっていただきました。

トーゴの海外遠征は
・1977年 チャイナシーレース(香港)
・1978年 カウズウィーク(イギリス)
・1979年 アドミラルズカップ 日本ナショナルチーム (イギリス)
・1982年 パンナムクリッパーカップ 日本ナショナルチーム(ハワイ)
・1983年 アドミラルズカップ 日本ナショナルチーム(イギリス)
・1985年 サルディニアカップ(サルディニア)
・1986年 パンナムクリッパーカップ 日本ナショナルチーム(ハワイ)
・1988年 ケンウッドカップ 日本ナショナルチーム(ハワイ)

当然この期間国内のメジャーレースでは、上位の成績をキープしていた。
この間、トーゴは5世から10世と6隻のレーシングヨットを建造してレース活動を展開した。

私は、1981年の秋からチームにお世話になり、学業の都合、仕事の都合で総ての遠征には参加できていない。特に、1983年は、大学4年生で専攻研究に忙しくほぼ活動できなかった。また1986年以降は社会人となり東京勤務であったため、関西ヨットクラブ(西宮)所属のトーゴに日常的に乗ることはできなくなった。(関東でのレース時に参加するのがやっとだった。)所詮ボンクラなクルーだったので大してお役には立てていないのだが、私の人生で大きな割合を占める要素であります。自分が乗っているので、撮影ができないので当時の写真は残念ながらほとんど手元に無い、カメラマンの方から好意で紙焼きを何枚か頂いたのがある位。

今後手元にある写真をスキャンして、随時載せていきたいと思っている。
プロカメラマンの方々から頂いた紙焼きは、スキャンレベルを落として、掲載するので、関係諸氏には、ご了解願いたい。(もちろん不適当とのご連絡いただけば直ちに削除いたします)

1982年5月 相模湾でのジャパンビッグボート選手権 トーゴ7世(ホランド41ft)
一番後ろに乗っておられるのが、オーナーの山田東吾先生 
一番前に乗っているのが、駆け出し最末端クルーの頃の私
Togo10001
(撮影カメラマン 桜井氏)

1982年夏 パンナムクリッパーカップ
 ハワイの海を強風で激走するトーゴ7世(ホランド41ft)
Togo30001
(カメラマン 添畑氏 撮影)

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2010/06/12

「はやぶさ」、地球帰還

「はやぶさ」は、小惑星に着地し、表面の物質を採取することを試みた世界初の探査機。その「はやぶさ」が7年という長い旅から間もなく 帰ってくる。
「はやぶさ」は、6月13日23時頃(日本時間)、地球に帰還予定。といっても、史上2番目の高速で大気圏に突入してくる(2006年1月に地球へ帰還した彗星探査機『スターダスト』のカプセルに続いて史上2番目の速度)
本体は燃え尽き、帰還カプセルがオーストラリアのウーメラ砂漠に着地する予定。

はやぶさの帰還カウントダウン

は やぶさの帰還にあわせたイベント情報

しかし、数々の故障、イオンエンジンの故障停止、一次行方不明からの自力回復。日本の技術と運用の素晴らしさを証明した機体です。最後の帰還も成功で飾って欲しいものです。小惑星「いとかわ」の地表サンプルは採取できているでしょうか。

はやぶさの火の玉帰還、映像見れますかねぇ。

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