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2010/06/13

Lightning Bolt ライトニング ボルト (ボルト マーク)

ボルトマークと言うと、ハワイの有名なサーフショップのトレードマークを思い浮かべるのが普通だと思う。ジェリーロペスが使っていたボードがここのものでありました。
サーファーの方にとっては、70年代のジェリー・ロペスといえばライトニングボルトしか考えられないと思います。

私の場合は、私が所属していた外洋レーシングヨットの「トーゴ」のハル(船体)のペイントを思い浮かべざるを得ない。私と同年代のレーシングクルー諸氏も同様だと思う。
紺色のベースに白い稲妻というのがトーゴのハルカラーである。
トーゴがハワイのレースに遠征した際は、地元サーファーには親近感を持って貰えたようだ。島周りレースでは、ダイアモンドヘッド周辺では、岸ギリギリに寄せて走るのが有利なコース取りになるのだが、思い切りつっこむので、サーファーが波待ちしているところまで入っていく。その際、彼らからはヤンヤの喝采でありました。

今や、「トーゴ」と言ってもヨットレースをしている人でも最近の方は知らぬというのが普通だろう。「トーゴ」が最も盛んにレース活動をしていた時期は、1970年代後半から1980年代末にかけてでありました。

トーゴは、関西青少年サナトリウムの創立者で理事長の山田東吾氏(神戸大学OB)がオーナーのプライベートチーム。山田先生は、2005年8月22日に急死されています。私は、神戸大の後輩であり、家も近いということで可愛がっていただきました。

トーゴの海外遠征は
・1977年 チャイナシーレース(香港)
・1978年 カウズウィーク(イギリス)
・1979年 アドミラルズカップ 日本ナショナルチーム (イギリス)
・1982年 パンナムクリッパーカップ 日本ナショナルチーム(ハワイ)
・1983年 アドミラルズカップ 日本ナショナルチーム(イギリス)
・1985年 サルディニアカップ(サルディニア)
・1986年 パンナムクリッパーカップ 日本ナショナルチーム(ハワイ)
・1988年 ケンウッドカップ 日本ナショナルチーム(ハワイ)

当然この期間国内のメジャーレースでは、上位の成績をキープしていた。
この間、トーゴは5世から10世と6隻のレーシングヨットを建造してレース活動を展開した。

私は、1981年の秋からチームにお世話になり、学業の都合、仕事の都合で総ての遠征には参加できていない。特に、1983年は、大学4年生で専攻研究に忙しくほぼ活動できなかった。また1986年以降は社会人となり東京勤務であったため、関西ヨットクラブ(西宮)所属のトーゴに日常的に乗ることはできなくなった。(関東でのレース時に参加するのがやっとだった。)所詮ボンクラなクルーだったので大してお役には立てていないのだが、私の人生で大きな割合を占める要素であります。自分が乗っているので、撮影ができないので当時の写真は残念ながらほとんど手元に無い、カメラマンの方から好意で紙焼きを何枚か頂いたのがある位。

今後手元にある写真をスキャンして、随時載せていきたいと思っている。
プロカメラマンの方々から頂いた紙焼きは、スキャンレベルを落として、掲載するので、関係諸氏には、ご了解願いたい。(もちろん不適当とのご連絡いただけば直ちに削除いたします)

1982年5月 相模湾でのジャパンビッグボート選手権 トーゴ7世(ホランド41ft)
一番後ろに乗っておられるのが、オーナーの山田東吾先生 
一番前に乗っているのが、駆け出し最末端クルーの頃の私
Togo10001
(撮影カメラマン 桜井氏)

1982年夏 パンナムクリッパーカップ
 ハワイの海を強風で激走するトーゴ7世(ホランド41ft)
Togo30001
(カメラマン 添畑氏 撮影)

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