昔の山の食料
昔の山岳部の無積雪期の合宿食料って、お金もないので、タマネギ、ジャガイモ、ニンジン、ハム(お金がなかったので魚肉混合の安いやつ、保存料沢山入っていただろうねぇ)とか普通の食品で長持ちしそうなものを洗って少し乾かして、そのまま持っていっていた。要は、特別な食料を用意することはしなかった。(今もかな?)
主食は、もちろんお米で、無洗米は当時ないので、洗って乾かして持って行った。塩、胡椒、味噌、粉末酢、粉末卵そして、調味料としても非常食としても使えるマヨネーズ必携であった(ここは伏線ね 笑)。熱源はケロシンストーブである。米は、予定日数より多めに持つことが多く、合宿終了後、残った食料を集めると、3~5人で数日持つ位残ることは多かった。
積雪期は、水も雪を溶かして作るし、装備も多いし、行動も大変になる。なので、当時既にアルファ米やフリーズドライ食品を使う様になっていた。
登山客の多い、ベースになるような幕営地に居ると、如何にも山岳部風かつ貧乏そうな我々に下山する社会人パーティが食料をくれることも多かった。非常にありがたいことであった。調子にのって長期山に残ることもしていた。大学に入った年(80年)は、浪人時代のフラストレーションもあり、長期山に居た。何度か下山して補給して再入山(補給のできる最寄の町までは降りるが、自宅へは帰らない)していたが、食料の寄付(笑)で予定よりも降りなくて済んだと記憶している。
割と雨が降った夏だったと記憶している。シーズン頭の美ヶ原(なんでここだったのか記憶なし)、南アルプス、表銀座-槍-穂。黒部エリアいづれも必ず降られた。黒部の源流地帯で雨に降り込められて停滞が続いたことがあった。当時のレインウェアはサウナスーツみたいなものなので、雨の日の行動は、かなりの決意が必要だった。雨に濡れなくても汗でびしょびしょになって、結局濡れるので、強風と冷えが予想される局面では危険だった。なので、日程に余裕がある場合は、停滞していた。食料は切れてきていたが、米とケロシンは貰ったのが溜まって結構あった。毎日ご飯は炊けるのだけど、副食がない状況が数日続いた。味噌、マヨネーズ、醤油 ご飯の連続である。この時の副作用でマヨネーズは嫌いではないが、マヨネーズご飯は食べる気がしない(というか平時にマヨネーズご飯なんかしないと思うけど)。この時は、川で岩魚を捕まえようプロジェクトを発動して、岩魚を餌釣りして事なきを得た、あの時の岩魚の塩焼きの味は忘れられない。今も岩魚の塩焼きは大好きである(誰でもか)。
こういう単調な食事なのに、ハードに身体を動かす日々が長期に続いた後下山して風呂屋に行くと、4キロくらい痩せている。実はちょっとした擦り傷をしても治り難くなっていたりもする。明らかに栄養不良。その後食事に行くのだが、何を食っても美味い。串かつ屋に入って、お任せメニューを2周した記憶もある。もちろん4キロくらいはすぐ戻る。ただ、元の体重以上には増えない。不思議なものだった。
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