GPOD
私が立ち上げた場所の名前である。
私は、IMIの2期生なのであるけども、IMIが催行した1997年の夏の終わりに20世紀最後のドキュメンタを見学ツアーに参加した。ドイツ、オーストリア、オランダのアートに関係する場所を巡る旅でありました。アルスエレクトロニカにも行った。岩井俊雄さんと坂本龍一さんにアルスエレクトロニカで会って、少し話をしたりもした。ポケモンカードを沢山持っていって、アート関係者に配ったりもした。(もちろん好評だった)
いろいろ影響を受けるものを見聞したわけなんだけども、アートに関係する人達が集まれる場を作りたいなと思って、当時役員をしていた会社(株式会社スターコーポレーション)の使っていない古い社宅アパート(会社に隣接していた)を利用することを思いついて、開設した。
使っていないアパートは保安上も問題があり、人が出入りすることは保安上もメリットがあるということで、会社の同意を取り付けた。もちろん、私がポケットモンスターカードゲームの流通事業を立ち上げて、大ヒットとなったことで、社内での発言力が大きかったからでもある。
場所は、松屋町の端。空堀商店街の近く、上町台地へと上がる坂の途中である。IMIの仲間が中心に運営の仕組みが作られ、利用が広がり、面白い場所へと変化していったと思う。GPODという名前も現代アート関係の人達で知る人も少なくはないと思う。
私が、会社を辞める際に閉じるということになりかけたのだが、会社が保安上のメリットを感じて、その後も存続することになった。私が関与しなくなってから2年後くらいまでは使えたと記憶している。会社は、なんとなく閉じるということにした様だが、GPODを廃止して、その後無人化することでまた保安上の問題は生じ始めたようだった。具体的に取り壊しての利用案が出るまでは、単に継続するだけで、会社のステータス向上にもつながらないではないものだったと思うが、その意味を理解できる人は残念ながら居ないわけだった。
利用していた諸君ももうちょっとうまく動いて、会社にメリットを感じさせていれば、存続できたと思うけども、まあ、継続するということのために行動はしなくても良いかも。
GPODを使ったことのある人がこの記事を観たら、近況など知らせてもらえれば嬉しい。嬉しいというより やあやあどうしている って感じなだけだど。
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